宝泉寺と善光寺報恩堂

On 5月 28, 2016, Posted by , In 地域おこし協力隊, With No Comments

昨年11月、200年振りに新築されたという
大台町下楠の「宝泉寺」。

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旧旅館「阿波屋」から宝泉寺に上がってくる道は
平成元年にできたばかりなんだそう。

宝泉寺の敷地内には
「善光寺報恩堂」があります。

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誰でもお参りができる無宗派のお寺。
一生に一度は善光寺参り、の「善光寺」です。

明治19年に建てられ、瓦の葺き替えは1度されたそうですが、
建物は当時のままなんだそうです。
宝泉寺住職にお話を伺いました。

日本に仏教が伝わった時に、仏像も一緒にやってきました。
それまで日本は神の国。
ある時けんかが起こって、ご本尊が捨てられた!

そのまま時が経ち、
古墳時代、長野の本田よしみつが関西出張からの帰りに
池から声を聞いたそうです。

「助けて~!私を連れて行って~!」

よしみつはご本尊を背負って長野の我が家へ持ち帰りました。
その後よしみつが建てたのが「善光寺」。
そうです!よしみつは漢字で「善光」です!
普通お寺は檀家さんとの繋がりで成り立っていますが、
誰でもお参りのできる善光寺は、
信者さんからの寄付金やお賽銭で維持・管理されています。

そこで、維持していくために、
御分身を御厨子におさめて各地に出向いていき
寄付を集める「出開帳」がされるようになりました。

歌舞伎の演目で、「勧進帳」をご存知と思いますが、
弁慶が背負っている姿が、まさにそれです。

さて、時は明治9年、
出開帳に出向いていて現在の大台町に差し掛かった時。

「伊勢暴動」が勃発しました。

現在の松阪市七見町から始まったといわれる
税金アップに対する農家さん達の暴動ですが、
一晩のうちに大台町のあたりまで広まった!
最終的には軍隊が出て止めたというほど
激しい暴動、

出開帳の一向は御厨子を背負って騒ぎに合ってしまい、
担いでいた御厨子を置いて逃げ帰ってしまった!

その御厨子を、当時の宝泉寺住職が見つけ、
「ご、御分身だ!!」と驚いたそう。
雨に当たってはいけないと慌ててお寺に持ち帰り、
善光寺に「引き取りにきてください」と
手紙を出しました。

中々返事が来ないので、
住職が善光寺に出向いていき、わけを話したそう・・・
すると、「出開帳は明治9年で終わったので、
よろしければそちらのお寺でおまつりください」とのこと。
帰った住職は地元で相談し、
お金を出し合って3年後お堂が完成!
明治19年のことでした。
周りの和尚さんにも集まってもらい、
3日間かけて落慶法要を済ませました。

実はこの御厨子、神輿型なんです。
鳥居も付いています。
神様のお力もいただいて守ってもらおう!ということだそう。
善光寺関連のお寺は全国各地にありますが、
神輿型の御厨子はなんと全国で2つしか見つかっていないそうです!

次回の御開帳は10月9日(日)を予定しているとのことです!

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